
朝日新聞デジタルに周防の父が掲載されました。
当時中学生だった義理父は帰宅途中に被曝しました。同級生、3分の1の命が一瞬で絶え、父は五日の危篤状態から意識が戻ったものの自宅も失い進学も出来ず、15歳で長崎中心部の貴金属店へ見習いに入ったそうです。 それが職人人生の始まりで、東京に出て来てからは業績を上げ、多くの弟子も育てて来ましたが、心はいつも長崎に寄り添っていたことでしょう。 2005年戦後60年にはずっと抱いて居た思いを銘板に刻み、本年は銀の折り鶴をご遺族に贈りました。 戦後70年以上経ち、戦争を知らない世代の私は、父の言葉に強く平和を願うばかりです。